父の学歴コンプレックス

私は工業高校を卒業後

Eランクくらいの大学を出ている。

 

高校生の時は

大学に行くことがとても嫌であった。

 

勉強をするために借金を背負うなんてごめんだ。

 

そう思っていたからである。

 

 

では、なぜ大学に行ったのかというと

 

父が「大学には行け!俺が全部出してやるから!」そう言ったからである。

 

金を出してくれるなら、

行ってもいいかな。。

 

私は父の全部出してやるの一言で大学進学を決めた。

 

 

父は学歴にコンプレックスがある。

 

父はとても努力家で

社会人になっても勉強を欠かすことは無かった。

 

家ではよく何かの資格の勉強をしていた。

 

そんな父は工業高校卒という学歴ながら

 

ジョブホッピングを繰り返し

 

40歳のときに

 

業界5本の指に入る大手企業の総合職に

転職を成功させた。

 

 

そこで人事に言われた言葉が

父の学歴コンプレックスにより深く刺さった。

 

「初めて高卒を採ったよ」

 

Eラン大卒業の私からすれば

 

すごい褒め言葉であると思った。

 

父も勿論自分が誇らしい気持ちもあったであろう

ただ少し傷ついてもいたらしい。

 

いまの企業で働くようになってから

 

よく「俺は高卒だから」

「俺も大学行こうかな」

 

と耳にする。

 

私の職場には東大卒も高卒もいるが、

高卒の社員に対し「高卒だから」なんて思った試しはない。

 

 

Eランク大卒からしたら

高卒も大卒も一緒だとそう思う。

 

今時金さえあれば誰でも大学は行ける。

 

大卒である価値など無いに等しいと思う。

 

そこにあるのは大学4年間その人が何をしたか

それだけである。

 

そして、何もしなかった人なんてたくさんいる。

 

そんな中で、高卒の彼らは

一足早く社会に揉まれていたのである。

 

その4年間にどれだけの価値があることか。

 

それはそれで凄いことである。

 

Eラン大卒の私は

 

父が「初めて採った高卒」であることは

会社での父の一つの価値であると思う。

 

だから無理にEラン、Fラン大学を卒業して

 

みんなと同じように大卒になることに価値なんて全くないし、むしろその珍しさやすごさが下がってしまう気がする。

 

ただ、父がこのまま学歴コンプレックスを拗らせてしまうのであるならば

 

大学に行った方がいいし

それは応援しようと思う。

 

少し別の話になるが、

 

職場の先輩(東大卒)に「正月太りのためジムに行こうと思う。」という話をした時

 

東大卒「すごいね。通い続けるとか俺には無理。自宅トレしかできないよ。」

 

こう言われた。

 

私は学歴の価値ってこういうことなんだなと思った。

勉強もそうである。

私たちは「自分一人ではできない」から塾に通う。

 

頭のいい弟は

塾に通う時間が無駄だと言って

自分の部屋でいつも勉強していた。

そして、弟は旧帝大に合格した。

 

 

学歴は頭の良し悪しの他に苦行に耐える力精神力も反映しているのでは無いかと思う。

 

 

大卒である意味はないけれど

良い大学卒である意味は十二分にあると思う。