中学の同級生と恋愛対象の話

私の恋愛対象は同性かもしれない。

 

私が性的興奮を覚えるのは

全て女性である。

 

昔から好きになるアイドルは女性のみで

年頃の女の子のジャニーズ話についていけなかった。

 

いまは飲み屋の女性にハマって

通い詰めている

 

 

 

 

一番初めに同性のが好きなのではないかと感じたのは中学の頃である。

 

同級生の女の子を好きになったからである。

 

その子とは

今も時々会って近況を話す。そんな仲だ

 

 

中学時代

私はその子にいじめられていたのかもしれない

 

プールに沈められたり

教科書に落書きされたり

犬の真似をさせられたり

 

周りからはいじめられているように見えていたであろう

 

ただ私は

彼女にそういったことをされることが嬉しかった

あの時の彼女の手によってプールで溺れる感覚は今も忘れられない

 

今思うと私の人生を彩らせ狂わせた

私のSMの原点であった。

 

 

そんな彼女の存在は

私の中で今もずっと消えない

 

ずっと一番大好きだった。

 

 

でも、それは思春期によくある勘違いだと

自分自身に言い聞かせてきた。

 

 

私はあれから普通に異性と恋愛をしてきたが

 

でもやっぱり少し違和感を感じている

 

 

私は

 

彼女のことが忘れられずにいる

 

 

 

 

 

父の学歴コンプレックス

私は工業高校を卒業後

Eランクくらいの大学を出ている。

 

高校生の時は

大学に行くことがとても嫌であった。

 

勉強をするために借金を背負うなんてごめんだ。

 

そう思っていたからである。

 

 

では、なぜ大学に行ったのかというと

 

父が「大学には行け!俺が全部出してやるから!」そう言ったからである。

 

金を出してくれるなら、

行ってもいいかな。。

 

私は父の全部出してやるの一言で大学進学を決めた。

 

 

父は学歴にコンプレックスがある。

 

父はとても努力家で

社会人になっても勉強を欠かすことは無かった。

 

家ではよく何かの資格の勉強をしていた。

 

そんな父は工業高校卒という学歴ながら

 

ジョブホッピングを繰り返し

 

40歳のときに

 

業界5本の指に入る大手企業の総合職に

転職を成功させた。

 

 

そこで人事に言われた言葉が

父の学歴コンプレックスにより深く刺さった。

 

「初めて高卒を採ったよ」

 

Eラン大卒業の私からすれば

 

すごい褒め言葉であると思った。

 

父も勿論自分が誇らしい気持ちもあったであろう

ただ少し傷ついてもいたらしい。

 

いまの企業で働くようになってから

 

よく「俺は高卒だから」

「俺も大学行こうかな」

 

と耳にする。

 

私の職場には東大卒も高卒もいるが、

高卒の社員に対し「高卒だから」なんて思った試しはない。

 

 

Eランク大卒からしたら

高卒も大卒も一緒だとそう思う。

 

今時金さえあれば誰でも大学は行ける。

 

大卒である価値など無いに等しいと思う。

 

そこにあるのは大学4年間その人が何をしたか

それだけである。

 

そして、何もしなかった人なんてたくさんいる。

 

そんな中で、高卒の彼らは

一足早く社会に揉まれていたのである。

 

その4年間にどれだけの価値があることか。

 

それはそれで凄いことである。

 

Eラン大卒の私は

 

父が「初めて採った高卒」であることは

会社での父の一つの価値であると思う。

 

だから無理にEラン、Fラン大学を卒業して

 

みんなと同じように大卒になることに価値なんて全くないし、むしろその珍しさやすごさが下がってしまう気がする。

 

ただ、父がこのまま学歴コンプレックスを拗らせてしまうのであるならば

 

大学に行った方がいいし

それは応援しようと思う。

 

少し別の話になるが、

 

職場の先輩(東大卒)に「正月太りのためジムに行こうと思う。」という話をした時

 

東大卒「すごいね。通い続けるとか俺には無理。自宅トレしかできないよ。」

 

こう言われた。

 

私は学歴の価値ってこういうことなんだなと思った。

勉強もそうである。

私たちは「自分一人ではできない」から塾に通う。

 

頭のいい弟は

塾に通う時間が無駄だと言って

自分の部屋でいつも勉強していた。

そして、弟は旧帝大に合格した。

 

 

学歴は頭の良し悪しの他に苦行に耐える力精神力も反映しているのでは無いかと思う。

 

 

大卒である意味はないけれど

良い大学卒である意味は十二分にあると思う。

職場のお局を考察する

2023.5

 

 

多分どこにでもいるんですよね

私の職場にもいます…

 

お局お姉さま

 

いやだなー

アイツと接触するの

 

なんて考えていると

いつの間にか

なんであんなになっちゃうのだろうなんて

考えているのです。

 

そんなおばさんのことを考えていても

それは無駄な時間だとは思うのですが、

 

自分がいつかそう呼ばれる

おばさんにならないように

考えて、ここに載せておくのもありなのかななんていうのが、

今回のネタなんですが、

 

本題

 

【お局お姉さまがなぜお局になったのか】
私の職場のお局お姉さまは 

気分の上がり下がりが非常に激しいのですが、

皆さんのところのお局お姉さまもそうでしょうか?

 

家庭環境起因だったりするのかなあ

とも思うのですが、

 

私の考察では

発達障害」または「愛着障害」の類なんだろうな

と思っています。

 

まあその着地点に行ってしまうと

いずれ自分も同じようになってしまうのですが、

 

それに加えて最近気がついたことがあります。

 

SNSで見た言葉がとても当てはまっていると思ったのです。

そのツイートは

「女の生きづらさは若い女の価値が高すぎることだ」

ということを謳っているのですが、

 

要約すると

若い女であるということそのものが通貨となっていて、その通貨をめちゃくちゃ使っていたらいつの間にか使えなくなって発狂する。

例えるならばそれは

ブラックカードを持たされて育った子供がこれまではなんでも買えたのにいきなりそれを取り上げられ自分の力で生きなさいと放り投げられた状態なんだという

 

そういった内容でした。

なるほどな

 

 

女は若いことが価値である。

 

その通りである。

若いというだけで、特別扱いされてきた。

可愛くもない私もがだ。

 

でもその若さは永遠ではなく

 

さらに若いものが職場に入ってくると

若さだけで勝負してきた女の行き場はどこにもないのだ。

 

そうして

ただただ若いことにジェラシーを感じ

イチャモンをつけるお局お姉さまが完成するのである。

 

結局は

泥くさく

コツコツ

地道に努力で何か武器を得るしかないのである。

若さがなくなっても自分が価値のある人間であるために
 

しかし、女の敵は女とはよく言ったものだなと

男と女は分かり合えないというけれど、

女と女はもっと分かり合えないですよ

個体によって痛みも感じ方も許容値も違うのだから、わからないのは当然なのですが、

わからないことが当然だということがわからない人たちが世の中にはたくさんいて

 

同じ女の私は大丈夫だから

あいつも大丈夫なのに

なんて異性に言ってしまって

異性もそれを真に受ける

地獄の連鎖が起こるのです。

 

わからないくせしてわかったふりしてくるやつが一番厄介で一番嫌いです。

 

 

私は、きっとお局お姉さまのように

発達障害愛着障害で気分の上がり下がりは激しい方だけれど

私は他人に気分で接しないように自分軸で相手を批評しないように

気をつけて生きたいですね。。

 

25歳は女の分岐点

ついに私もアイドルの賞味期限と言われる

25歳になった。

25歳は女性の人生の分岐点だと思う。

結婚と出産と転職と

女性である私たちは25歳あたりで一度考えるのではないだろうか。

女性の転職は、27、28歳がギリギリだと転職サイトのキャリアコンサルタントは言う

まあ妥当だなあと思う。

新しく入社してきた女が一年やそこらで

妊娠したら嫌だなあとなるのは当たり前である

そのリスクの少ない独身者で擦れてない若い女のがいいに決まっているのだ

しかしだからと言って私達には期限がある

子供を産む期限だ。

今は医療が発達しているから年齢を重ねても

子供は産めるなんて言う人が大半だけれど

高齢出産が障害児が産まれるリスクの高いことは今も昔も何も変わっていない

なにも障害児を産むななんてことは言っていない。

ただ、親になるのであれば

子供には健康に育って欲しいと思うのは当たり前であるし、子供にはなんの不自由もなく暮らして欲しいのである。

そう考えた時に

30歳前には子供を産んでおきたいな

そう思う訳である。

転職と出産を考えると

結婚は26、27歳にはしておきたいと

私は思う

では転職するなら24、25歳なんじゃないかと

勿論、今の会社のままで良いと思うのであればそれで良いと思う。

ただ、結婚出産した女の転職は難易度が非常に高い。

25歳の私はここで一つ人生を決めなければいけない。

25歳はそういう分岐点なんだと思う。

25歳はたくさん悩むであろう。

でも、、

後で後悔しないように、いまはたくさん悩むべき時なのかなとも思う。

 

性に囚われる

2023.8


わたしは性に敏感である。

ここでいう性は社会的性、性別の話である。

 

「女なんだから」「男でしょ」

私はこういう言葉が本当に苦手で虫唾が走る。

性にとらわれたくないのである。

振り返れば、私が建設業に進路を決めた理由もまたこれである。

お花や、服、ヘアアレンジにメイク、ハンドメイドや絵描、デザイン

全て好きであるがその好きに蓋をしてきたのである。

女性らしい。女の子らしいという理由で

男性のように働いて、お金をもらい、男性と同じ給料をもらい同じように主張を通す。

そのために女性らしさを排除してきたのである。

女性らしさは男尊女卑である家族の中で

私が都合の良い奴隷にならないために排除しなければならないことであったのだ。

私は転職活動をする上で、考えることがある。

私はどんな仕事をしたいのだろう。

美容師、ネイリスト、服飾やってみたかったなあ

でも、そしたら私のこれまでが無駄になって

自ら奴隷になるようなものなのかな

性に囚われたくないと言いながら

誰よりも私は性に囚われているのである。

私の大学生活を変えたある先生の話

2022.8

 

記憶がなくなってしまう前にこちらに記録しておこうと思います。

大学生は是非読みながら一緒に考えて欲しいです。

 

〜〜〜〜

 

 

「幸せですか。」

私が初めて受ける教職課程の講義の初めの言葉であった。

 

私は変な印象を受けた。

まるで宗教勧誘を受けたかのようだった。

周りの学生も同じような印象を受けていたようだ。

教室中がざわめいた。

それでも構わず先生は
受講するすべての学生に「幸せですか。」と問う。

私は教職課程はこんな場所なんだと、とても衝撃を受けた。

 

 

「皆さんはなぜ大学に入ったのですか。」

先生が二言目に発したこの言葉をきっかけに私の大学生活は変わった。

 

なぜ、大学に入るのか。

なぜ、大学に入ったのか。

私はこう答えた。

「専門技術を学ぶため。」

「それなら、専門学校でよいではないでしょうか。専門学校ならば、基礎科目に時間をかけることなく、専門の勉強ができる。工業高校でもよかったでしょう。それならば、君たちよりも4年も早く社会に出て実務を経験できる。」「君たちが、こうして大学に通っている間に既に社会に出ている専門卒、高卒の皆さんから後れを取っているのではないでしょうか。」

その通りだと思った。

わたしは、何も反論することができなかった。

それから何日も大学に来た意味を考えた。

そして出た答えが、【この大学4年間を視野を広げる4年間にしよう】というものであった。

元々、教職課程を受講しようと思ったのは、親との約束であった。

「大学に行くのであれば、教員免許を取りなさい。」

私はその決心をした日から

「視野を広げるために、教職課程を頑張ろう。」そう考えるようになった。

はぁだるっ 

親との約束だから仕方なく受けていた教職課程を4年間続けられたこと
教員免許を取得できたのは、この先生との衝撃的な出会いがあったからである。

 

 

〜〜〜〜〜

 

 

側から見たら何も特別ではないかもしれないが、わたしが行ったことも一応書いておこうと思う。

◯アルバイト(その土地ならではにこだわった)

・アンテナショップでの特産物販売
・テーマパークキャスト

◯大学生徒会(FD)への参加

アメリカ短期語学留学(初海外)

意欲的に何かになろうと何かをしてきたため、大学でも変わった依頼がそれなりにあった。

オリエンテーション旅行への引率
・卒業セレモニーでの送辞(コロナで中止になる)

就職は結果的に失敗だったかもしれないが、これらの経験があったからこその大企業への内定であったし、

何がどうとはっきりと言えるものではないが、テーマパークのキャスト、初海外は間違いなく価値観を変えられたとても貴重な体験であった。
また、教職過程では単純に教科が楽しいだけでなく、自分を見つめ直すきっかけを得られた。

 

 

教職教科の先生方はとても親身で、教育の専門家ということもあるのかポジティブな言葉をいつも与えてくれた。

メンタルが不安定な私は先生方の言葉に支えられて未だ生きている節がある。

 

「小さな頃褒められたこと」はわたしの胸にはないけれど

あの時、教職課程の先生方が褒めてくだっさった言葉は

モーニング娘。‘15のendlesssky のあの歌詞のように

「今も胸の中宝物だよ」になっているのかもしれないなあと思ったり

アイドルになりたかった話③

2021.3

 

アイドルになりたい話は終わりを迎え

アイドルになりたかった話しとなったわけである

しかし、これが本当のアイドルになりたい話の最終話である。

 

今から話すのは、私の就職活動の話である。

結論から言うと

「うまく行かなかったけれども、どうにかなった」

そんな就活話である。

 

私はずっと公務員志望であった。

それはなぜか、「女性が生涯働き続けるのには最適な職業であると母からいわれつづけていたからである。」

ここで私の中に一つ疑問がでる

何故女性は働かなければいけないのか?

私の生まれ育った家は完全に亭主関白な家であった。父の言うことが全てであった。

家は共働きである

父は母にいつもこう言っていた

「家のことができないなら働くな」

それを真に受けて働かなくなると次はこうだ

「家にずっと居るなんていい身分だ。働け!」

 

もちろん家事は全て母が行う。

 

そしてわたしにはこう言うのだ

「少しは家事を手伝ったらどうなんだ」

弟に同じことを言うことは決してなかった。

 

女だから家事を行え!でも仕事もしろ!

 

家事は女の仕事で何故女は仕事をしなければいけないのか

母は私に男と同じ土台で働くことを望んでいた。

それは何故か

 

自分が男と同じ土台で働けないことが

関係性に強弱ができてしまった原因だと考えるからだという。

 

娘には同じ思いをさせたくないといった母の思いを知り

私は、男と同じ土台で働くことにできる公務員になるしかないと思い込んだ。

 

 

家族が求めているのは地元の公務員である。

それは何故か、

直接的な言葉を聞いたことは無かったが

単純に寂しいからいてほしいという気持ちの他に

私に家族のぎくしゃくした関係を取り持ってほしかったのかなと思う。

そして私自身も、地元以外の場所で公務員になるという選択肢はなかった。

「何故そこの公務員になりたいのか?」と問われて

答えられる自信がなかったのだ。

 

曖昧な気持ちのまま公務員試験は近づいていく。

3月、就職活動が解禁されると同時に次々と内定を頂く友人たち

5月、公務員試験を間近に心だけがあせる私

6月、実家にいることに不安を覚える

 

そして6月中旬私は公務員試験の勉強を終わりにし、

就職活動を始めた。

【地元から離れた場所】で、【公務員と似た仕事内容】の企業

この二つの条件をクリアする企業なんて誰もが知っている大企業だけであった。

 

7月、大企業の最終募集のESを書きながら公務員試験を受ける日々を送った。

 

結局のところ、ただただ実家から離れたいで受かるようなことは無く

経験と企業の理念が一致しているたった一つの企業だけがESを通過した。

そのあとはトントン拍子

その一つの企業のみから内定を頂いた。

6月から就活を初めて、最終募集でインターンにも参加しなかった大企業への内定をゲットした。

私の就活は上手くはいかなかったが、どうにかなった。

 

そして社会人になる。

私はアイドルになりたいと言えなくなる。

 

アイドルになりたい話はここで終わりを迎え、

アイドルになりたかった話がこの先ずっと続いていくのだ。